菊花夜話

兄を探しています。

一夜目 迷子

※虐待、いじめ等の描写があります。

 

「本音言うとこんなこと話してる場合じゃなくて、俺は一刻も早く奏多を探しに行かなきゃならないんです」
 
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 というのも、話すと長くなるんですが……
 その日、俺は珍しく体調を崩して寝てました。前の晩にシャワー浴びてそのままノートパソコンに落としたフリーゲームで遊んで、そのまま寝落ちて風邪をひいたんです。気付いた時は自分の家の畳の上に転がってて、既に熱が出てました。
 その日はどうしても落とせない講義のコマだったんで友人に代返を頼んだんですけど、それが奏多でした。
 奏多は見た目こそモサッとしたメガネくんな俺と正反対ですけど、低めに出した声が俺とそっくりなんですよ。それに気付いてからは互いの代弁し合ってます。ちなみに奏多が休んだ時は俺が高い声で返事してました。……すみません。
 それから俺は連絡した安心感からぐっすり寝てしまったみたいで、起きた時にはもう夕方になってました。
 奏多がゼリーとスポドリと風邪薬買って家まで来てくれた音で起きたんです。そう、この箱が風邪薬。
 仲?いいですよ、割と。意外ですか?まあ、奏多が特別優しい奴だってだけかもしれないですね。そういやまだお金払ってないな、早く払わないとな。そうでしょ?
 話が逸れましたね。
 俺は眠ったおかげか、その頃には体もだいぶ楽になってました。けど、奏多が風邪はひきはじめが肝心だーとか言ってうるさかったんで、おとなしく薬を飲みました。だいぶ世話焼きだと思います、あいつは。
 明日までにメールで送らなきゃいけないレポートがあったのを思い出して、めんどくさくなった俺は奏多にそれを頼みました。俺のパソコン勝手に触ってくれていいからそのまま送っておいてって。レポート自体は出来上がってたんで……
 ……今から思えば、あの時奏多にやらせるべきじゃありませんでした。未だに悔しくて悔しくて、どうにか時間を戻せないかとかずっと考えてます。
 なのにその時の俺は呑気に寝転んでいて、ボーッと奏多の背中を見てたのを覚えてます。黒いセーターにジーンズ、その尻ポケットのステッチあたりを。
 すると俺のパソコンを触っていた奏多が、かわいそうなぐらいギクッと体を強張らせたのが見えました。それからぶるぶる震えだすもんだから、そら何事かと思って起きるでしょう。正直なところ、さっきまで熱出してた俺よりよっぽど具合が悪そうでした。
 どうして?なんでこれが、ここに。どうして?
 そんなことをずっとブツブツ呟いて、大げさなほどに震えてました。
 慌てて眼鏡をかけてパソコン見たら、そこには俺が体調を崩した原因のゲームが出てたんですよ。俺はウィンドウ画面を閉じずにスリープさせちゃったんですね。
 奏多はそのゲームを見てオロオロしてたんですよ、その時点で俺が感じたのは「そんな馬鹿な」でした。
 一応そのゲームは、まだ誰もクリアしたことない呪われたゲームってことでネット上でも話題になってたんです。けど、奏多の怯え方が尋常じゃないんでびっくりしたんですよね。
 ホラーゲームってことで真っ暗な廊下を延々歩き続ける内容なんですけど、ウィンドウにはまさしくその廊下が映し出されてました。
 逆に言うとそれだけ。顔を真っ青にするほど滅入るような画面じゃないんですよ。そんな怖いか?って絵面でした。
 ゲットしてあったアイテム画像も不気味ではありましたね。向精神薬の薬とか、ダクトテープとか、学生証とか、犬のネームタグとか、他はなんだっけな。
 奏多が震えるほど怖いものとは思えなかったんです。
 でもホラーではあるしなと思って、俺は「怖かったらゲーム閉じていいよ」って言ったんです。まあ、苦手なやつは雰囲気だけでも嫌なんだろうなあとか思って。そしたら奏多は首をふって突然言いました。

 「そのゲーム作ったの、僕なんだ」
 って。

 二度めの「そんな馬鹿な」でした。だって奏多はそもそも同じ文系で、ゲームだってアプリのソリティアで遊んでるところしか見たことがない。ゲームを作るイメージと繋がらないでしょ?
 でも奏多は譲らないんです。それどころか、このゲームは本物の呪いのゲームで、クリアしたら奏多に呪われるとかなんとか。だからクリアしてはいけないとかなんとか。
 そんなの咄嗟に信じられますか?俺は信じられました。
 で、俺は少し考えて、ゲーム作る趣味がばれて恥ずかしいのかなって思いました。
 だからゲーム作る趣味ぐらい変じゃないって。むしろすごいよ、特別な知識が必要だろうし時間もかかるだろ?って励まして、奏多の肩に手を置いたんです。手の下ではまだ奏多がぶるぶる震え続けてました。
 ここで、俺は初めて事態の重さに気付きました。このゲーム、奏多にとっての地雷なんだって。

 俺は奏多を落ち着かせて、ゆっくり話を聞きました。
  なんでも、奏多には復讐したい相手が何人もいたそうです。
 ほら、奏多って一浪してるでしょ。実はその一年間は……いじめのようなものに遭って病んだから、だそうなんです。
 何もかも怖くなって信じられなくて、長い間外を歩けなかったそうです。そうなると出来ることなんて限られて、パソコンとスマホをいじるぐらいしかできなかったって言ってました。
 ディスプレイって光ってるから、真っ暗な布団の中でも操作できるとか……引きつった笑顔で語るんですよ。俺、もうすごいしんどくて。自分の身に起きたことみたいに感じて。
 俺はジワジワとやってきた怒りでカッと頭が熱くなりました。熱がぶり返したのかと思うほどでした。誰だ、優しいお前にそんな酷いことしたのは。優しさにつけ込んだ外道は誰だって思いました。俺がぶちのめしてやるって。
 奏多の話は終わってませんでした。
 病んで引きこもりになった奏多は布団の中で考えたそうです。人生を、心を、人格をめちゃくちゃにしてくれた連中に、布団に潜り込んだままで復讐できないかって。
 ネットを通じて呪ってやるって思いついてからは早かったそうです。執念と憎しみだけで相手を呪うゲームを作って、完成させてからは接続経路を匿名にして、主犯格の連中だけにメールで送りつけたと。本来なら俺がプレイしているように、外に漏れるなんて有り得ないと嘆いていました。
 本当にクリアした人間が出てこないのは当たり前だそうです。だってクリアしたら連れて行かれるから……暗くておそろしい場所に。

 ……え?ああ、肝心の呪いですか。

 勿論その時は俺も半信半疑でしたよ。だって、そんなもの現実的じゃないでしょ。ただ、奏多が受けたいじめに関しては虚言じゃないと感じました。語る内容があまりにも生々しかったので。まあ、その時教えてくれた内容のエグさなんて氷山の一角だったって後からわかるんですけど。
 その時に俺が考えてた仮説は、いじめで精神を病んでしまった奏多が、呪いのゲームを作ってしまったという妄想に取り憑かれたということです。
 本当はゲームをクリアしたところで何も起こらず、呪いなんてものもない。普通のホラーゲームです。ただ、奏多は現実問題として、俺がゲームをクリアしたら呪われてしまうと本気で考えていた。問題点はここだと思いました。
 だとしたら、俺に言えるのは「呪いなんて起きるはずがない」じゃなくて「呪いを解くためにはどうすればいいんだ」でした。

 奏多から返ってきた答えは割と簡単で、今まで進んできた経路を逆行すること。出口を目指すんじゃなくて入り口を目指すことでした。
 一応いわくつきのゲームなんで、出回った時点でどこぞの誰かがデータ解析ぐらいとっくにしてそうなんですけど、その割に攻略情報とかは全然出てないんですよね。ゲームとしては一本道を延々歩くだけなんで、必要ないと言えばそこまでですが。
 ただ、そのことを奏多に言ってみたら、誰かに解析されるのも想定済みみたいでした。
 データの中に、奏多が呪うほど憎んだ連中どもの個人情報が入ってるそうです。さすがにネットに拡散されることまでは考えてなかったみたいですけど、奏多が証拠を持ってるぞという威嚇になると思ったそうです。
 その時の俺は、わざわざゲーム作って呪いかけるより、いじめの証拠を相手の通う大学にでも見せた方が効力あるんじゃないか?と思いました。……見せられない、見せたくない理由があるなんて思いつきもしませんでした。

 とにかく奏多を安心させるために、俺はゲームを再開させました。
 言われるままに画面を操作して、奏多の指示通りの操作をしました。俺が曲がりくねった道を歩くと、ノートを広げた奏多はトレースするみたいに線を描いていきました。
 するとね、ちょうど迷路を上空から見た形になんのかな……魔法陣の形になってたんですよ。円の中に星とか図形とか描かれてる、ゲームとか漫画で悪魔が召喚されてるやつです。
 ゾッとしました。そんな事、前の晩には全然気付きもしませんでしたから。
 この時はじめて、このゲームを作ったのは本当に奏多なんだと信じることができました。まあ冷静になった今なら、実は奏多もこのゲームを知っててクリアしてたからって可能性も考えつきますけど。
 でも、プレイを進めながらなぜか確信してたんです。俺が体調を崩したのはこのゲームのせいだって。
 このゲームは自分を嬲り殺すための魔方陣を、自分で描かせるためだけに造られたものなんだって。

 ゲームを再開してから、俺はどんどん気分が悪くなっていきました。頭がグラグラして、座ってるのに立ちくらみがして。倒れそうになった俺を奏多が支えてくれながら、進むべき道を誘導してくれました。俺の身に降りかかった呪いを跳ね返すには、他ならぬ俺がやらなきゃいけないんだと。
 そのゲームに音楽は流れていないんです。その代わりなのか、苦しげな声や嘲笑うかのような声、あと悲鳴じみたものがくぐもった音声で流れ続けていました。
 前の晩の俺はよくある不気味な演出だな、程度に聞き流してたんですけど、横で奏多が喋ってるとどうしても気付いてしまうんですよ。すすり泣きの音声と奏多の声が同じであることに。
 いじめって言うから、無視するとか殴る蹴るとか金を巻き上げるとか、そういうものを想像してました。違ったんです。奏多が受けた仕打ちは、そんな生易しいものじゃなかった。男としてのプライドとか矜持をズタズタにする「捌け口」でした。
 血の気が引きました。同時に、俺が察した事を奏多も気付いたんでしょう。

「……僕が証拠集めで録音していた声、だね」

 不思議なことに、そこまで来ると音を消したくてもボリュームの操作が効かないんですよ。イヤホンジャックに何か刺そうにも、そういう時に限ってヘッドホンがどっかに行ってる。
 俺はとにかく、この早くこの音声を止めないとと思いました。だって、横にいる奏多は俺以上に聞くのが辛いはずですから。
 それにしても、どうしてこんな音声を入れたんだと問い詰めたくなりました。第三者である俺でさえ聞いてるだけで吐いてしまいそうになるのに。
 この時、たまたま取った心理学の授業で習ったことを思い出してしまったんです。
 事件や事故に巻き込まれた被害者は危機を感じた時に出る特別な脳内麻薬を再度感じたいがため、再び危ない場に身を投じることも珍しくないのだと。再現しようとしたんですかね。
 俺は何もかもがやるせなくなって、呪えるものなら俺が奏多に乱暴した連中を呪ってやりたいと思いました。顔も名前も人数もわからないけど、それでも俺はたまに聞こえる嘲笑を憎まずにはいられなかったんです。頭が痛んで、視界がぐわんぐわんと揺れてました。
 奏多が俺を支える手に力を込めました。
「君に聞かせる予定はなかったんだ、ごめんね」
 それは、お前の声のことか。それとも暴行を加えた連中の不快なヤジか?聞き返す元気なんてあるわけありませんでした。
 奏多の瞳は完全に死んでいて、半笑いの顔は真っ白でした。俺の目も同じように濁っていたことでしょう。
 俺は声すら出せずに、震えそうな冷たい手でマウスとキーボードを操作し続けるしかできませんでした。
 進んできた道を戻って、手に入れたアイテムを所定の位置に戻して。犬のネームタグ、学生証、ダクトテープ……まで返して、もしかしてこれが拘束に使われたのかななんて考えてしまいました。奏多がどんな思いでこのゲームを作ったのか、リプレイさせられている気分になりました。

 そして不快で長い時間をかけて、俺はやっとスタート地点にまで戻りました。その頃には完全に熱がぶり返していて、吐く息がゼエゼエ鳴っていたのを覚えています。外は真っ暗になっていました。
 喜べ、俺は呪われないぞ。
 そう言おうと奏多の方を見てから、俺は悲鳴をあげそうになりました。いや、あげてたのかもしれないです。
 奏多の身体のいたるところに黒いモヤがまとわりついていて、俺は咄嗟に「食われている!」と感じたのはしっかり覚えています。黒い何かが、この世のものでは説明できない何かが、奏多を食っている。
 慌てて奏多を取り戻そうとして、手と頭を掴みました。少々乱暴だったけどそんなことも言ってられませんでしたから。
 初めて触った奏多の髪は俺のと全然違って柔らかくて、頼りなくて泣きそうになりました。

 俺が必死になってるのに、当の本人は呑気なものですよ。呪いってこんな見た目なのかーなんて呟いて。いやもっとモヤモヤに抵抗しろよと思ったんですけど、むしろ身を預けてるぐらいの勢いでした。
「君にさせたのは本来の呪いを逆さまにすること、言わば呪詛返しだからなあ。このまま僕は助からない気がするよ」
 つまり、奏多は最初からこの結末を知った上で俺にゲームを逆走させたんです。自分の身を生贄にして、俺を助けるつもりだったんです。
 なんて馬鹿なことを!と思ってとにかくモヤを振り払おうとしたんですが、その頃に俺はもうは平衡感覚すら掴めなくなってました。振り回した手が空を切り続けました。
 食べたゼリーが喉から逆流して、俺は少し吐きました。
 熱が上がったせいか、頭までがガンガン痛み出しました。でもそんな場合じゃないと思って、無理やりに手足を動かそうとしました。奏多を助けなきゃならんと思ったので。
 ゼリー吐きながらもモヤを掻き消そうと動いてる俺を見てなのか、奏多は少しだけ驚いた顔をしてから笑いました。黒いモヤに顔を半分食われている状況に似合わない、びっくりするほど穏やかな顔で笑ってました。

「忘れるんだよ」

 何を、と問い返す前に、奏多は完全に黒いモヤの中には飲み込まれて、俺の意識は落ちました。


 目覚めた後、すっかり熱は引いて体は軽くなっていて、パソコンは電源がつかなくなってて、それから朝になってました。奏多もいなくなってました。俺が吐いたゼリーが、乾燥して残ってました。
 一応壊れたパソコンは修理出して返ってきてんですけど、あのゲームをDLされた痕跡すらなくて。記憶を頼りに見つけたダウンロードURLも期限切れで……それを見て、なんていうか、この世から奏多の痕跡が消されたと思って、やっと俺は泣きました。
 連絡取ろうとしても連絡帳から消されてて。そこまでするかって。俺にとって本当に理想の友人だったのに、なんでそんなに酷い去り方をするんだって。
 ゼリーのカップと手付かずのスポドリと薬。あと袋とレシート。奏多がこの世にいた証拠ですから、俺には捨てられません。

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「奏多は俺の代わりに連れて行かれちまったんです。だから今度は俺が助けに行かなきゃ、探しに行かなきゃいけないんですよ。道理でしょう?」

 そう語る田中の目はどこまでも暗く淀み、しかし眼鏡の奥でギラギラと輝いてまるで薬物中毒者のようだった。癖の強い髪を整えもせずに乱れさせ、研究室で熱弁を振るった。私は震えた。
 カナタという生徒が代返した私の講義の出席カードはどう見ても田中の筆跡だし、私の記憶でもあの時田中はいた気がする。田中に言われたので見せはしたが、しかし本人は認めない。互いの筆跡を真似るぐらい仲が良かったのだと言い張っている。
 もう一つ言わせてもらうと「カナタ」に該当する名前の男子生徒は受講者に見当たらないし、もっと言うと在籍していなかった。田中が狂ったように話し続けるカナタとの数々のエピソードも、誰一人として見たことがないようだ。

 つまり最初からこの世に存在していないのだ、カナタなんて人間は。

 私はおおよその話は終わったと判断して、ICレコーダーを切っている。田中は市販薬の空き箱を握りしめ、ずっと虚空を睨んでいた。

 これから休学するであろう若い狂人を目の前に、私は願わずにはいられない。
 この世界に本当に呪いのゲームとやらが存在して、私達の記憶ごとカナタという生徒を連れ去ってしまったのだと。
 捏造された思い出と呼ぶにはあまりに色鮮やかで、語る田中自身の道しるべそのものだったのだから。


(とある教授のICレコーダーより)