菊花夜話

兄を探しています。

四夜目 仇討ち入門

 怖い話を集めてるんだって?
 あ、別に理由とか知りたくねぇから、話すなよ。
 俺は誰かに話したい。お前は怖い話を聞きたい。利害の一致ってやつ。
 まあ、この奢ってもらったビール一杯分の仕事はするさ。
 いやあ、ビールを外で堂々と飲むのは初めてだけど、やっぱおいしいもんじゃないよな。大人の味はまだ早いってか? 一応今日成人したんだけど。
 ん? そう。今日誕生日。ケーキ奢ってくれてもいいぜ? くれない? 早く話せ? あらそう。
 さて、今から話すのはお前が想像する、所謂“怪談”には当てはまらない、と思う。なんてったって、この話には恐ろしい幽霊も人を食う妖怪も出てこない。

 


 父方の祖父母の家は山奥の、村に入るための道が一本しかないような小さい村にあり、俺と父は夏休みになると毎年一週間ほど帰省するのが恒例だった。
 その日は丁度滞在6日目で、夏休みも終わりだっていうのに宿題を一つもやってなかったことが祖父にばれ、遊びに行くことを禁止されていた。
 宿題をやるのに一瞬で飽きた俺は、縁側で寝っ転がってボーッと雲が流れるのを見ていた。祖父母の家にはそのぐらいしか娯楽がなかったのだ。
「タケル君。ごめんね。ちょっと来てくれない?」
 そこに突然ワタルが現れた。ワタルっていうのはその村で唯一俺と同い年の奴で、俺はよく知らないが、村の大地主の子だからか、他の子どもたちから遠巻きにされていて、夏休みに一週間やってくるだけの俺しか友達がいない、そんな気の弱い、優しい奴だった。
「勝手に出ていくと爺ちゃんに怒られんだけど」
「ごめんね。でも、お願い」
「仕方ねぇなあ」
 初めから祖父の言いつけを守るつもりなんてなかったくせに、わざとらしくため息を吐きながら草履を履くと、ワタルは分かりやすく喜んだ。
「で、なんの用だよ」
「うん、ごめんね。うちに着いてから説明するよ」
 門脇家は村の一番高いところにあり、町の感覚からすると3軒分ぐらいの敷地に増改築を繰り返したであろう複雑な構造の家だった。
 村の入り口近くにある祖父母の家から歩いている内に俺は服の上からでも分かるほど汗だくになって、すごく気分が悪くなったことを覚えている。
 そんなどうでもいいこと覚えてるぐらいだったらワタルがその時どんな顔していたのか、覚えていればよかったのに。
 ワタルが何も言わずにずんずん登っていくから俺が弱音を吐くわけにもいかず、結局一度も足を止めることなく俺は村の端から端まで歩かされた。
 そこで、ご対面。

「は?」
「ごめんね、どうしよう」
 夏の底。門脇家の広い庭の片隅に、死体はあった。頭がぱっくり割れ、中から若干白いものが見える。隣には血濡れの鍬が沿うように倒れていて、頭をかち割ったのは自分であるということを主張している。
「なんだよこれ」
「人間の死体。死んじゃったんだ」
「なんで」
「事故。……と、言いたいところだけど。未必の故意ってやつかな」
 ほら。とワタルが指さす先を見ると、鍬に糸が括られていた。糸を辿っていくと人が通ると糸が張り、倉庫の上から鍬が勢いよく倒れるような仕掛けになっていることが分かる。古典的なミステリのようなトリックに、何より先に呆れが来てしまった。
「立派な殺人だろう」
「子供は手放しても土地は手放したくないってことだね」
「もしかして、犯人は」
「うん。両親どころか、祖父母まで関わってる」
 あまりのことに、空を仰ぎ見る。日光が目に入り、青空を見る前に反射で目を閉じる。日光は瞼の裏にまで進攻し、思考を犯す。
「それで、俺に何をさせたいわけ?」
 どうにかその言葉を絞り出す。
 ワタルは、普段の気の弱さを何処かへやったように、強い目をして言った。
「どこかに隠してほしい」

 


「やっぱりやめよう。犯罪だよ」
「隠せって言ったのはワタルだろ。今更戻るわけにいくかよ」
 いざ俺が言われた通りにすると想像通りワタルは俺を止めようとした。ワタルは気が弱いのだ。
 俺はよいしょ、と背中のモノを背負いなおす。それが死体だと意識すると、途端に放り投げてしまいたい衝動に駆られる。
「でも、タケル君」
「やっちまったことは仕方ないだろ」
 いくら自分より小柄とはいえ、死体というのはとても重い。
「ね、重そうだよ。やっぱりやめようよ」
「うるせえ。耳元で喚くんじゃあねえ。お前が捨ててくれって言ったんだろ」
 死体を肥料のように畑に埋めるわけにもいかない。俺の足は自然、山の方へと向かっていた。都合のいいことに門脇家は山を背にするようにして建っていたし、俺は門脇家の裏から山に入ってすぐのところに獣道があることも知っていた。そこを使って奥まで行って死体を捨てようと思ったのだ。中学生にしては考えたほうではないだろうか。
 ただ、想定していなかったのは死体の重さ、固さ。約50㎏の肉の塊はとても運びづらい。
「重。何食って生きてきたんだよ?」
「タケル君と似たようなもの、かな」
「マックのポテト?」
「ナゲットのほうが好き。この近くマックないから、滅多に食べれないけど」
「ふーん」
 人が汗水垂らして台車を引いている横で、当事者が汗ひとつかかないままというのは若干腹が立ったが、仕方がないと自分に言い聞かせ、死体を背負い直す。
「ごめんね。僕が持てたらよかったんだけど」
「ワタルに持てるわけねぇだろ。俺を呼んで正解だよ」
「うん。……ごめんね」
「謝んなっての」
 汗のせいですぐに手が滑る。何度も何度も背負い直しながら、俺は獣道を歩く。
 ところどころに鹿の糞が落ちているが、それを避けて歩く余裕がないため、諦めて上から踏みつける。草履のまま来てしまったため、いつ靴下で糞を踏むことになってもおかしくない。
「どこかいい場所知らねぇの? ここ門脇の山だろ」
「うん、えっとね。獣道を外れたところに、沼があるんだ。そこでいいかな」
「ワタルが決めろって」
「……うん。そこがいいな。死体は沼に捨てよう。底なし沼に入ったらどんな感じかな。お母さんのお腹の中と同じ感じかなあ」
「……知らねぇよ。弟にでも聞いてくれ」
「そういや、弟君がタケル君のお母さんの中にいるんだっけ。いいなあ、僕も生まれ変わったらタケル君の弟になりたい」
「なればいいじゃねぇか」
「どうだろ。なれるかな」
 ひざ丈のズボンを履いていたせいで、葉で足が切れる。草履を貫通してとがった石が足裏に突き刺さる。それらの痛みを、歯を食いしばって耐える。今ワタルを日和らせるわけにはいかない。
 ただ足元だけを見ながら足を前に出す。次の一歩のことだけを考える。
 なんで俺がこんなことをしなければいけないのか。そう思わないわけでもない。ただ不思議と、足を止める気には一度もならなかった。

 二人して黙りこんでどれくらい経っただろうか。ふいに視界が明るくなり、反射的に顔を上げる。急な動きのせいで、死体が背中から離れ、重力に逆らうことなく頭から地面に落ちる。
 底なし沼は静かで、不気味で、死体を捨てるには絶好の場所だった。
「重かったよね。ごめんね」
「自分の心配しろよ。思いっきり頭うってんぞ」
「でも、僕ここにいるし。もう痛覚はないよ」
 それもそうか、と思い、俺はワタルの死体を地面に投げ捨てる。
 あまりに雑な扱いに、ワタルはワタルの死体の前で苦笑した。

「なあワタル。なんでお前自分の死体隠そうとしてるわけ?」
「ここまで運んできてからそれを聞くの、すごくタケル君らしいね。そういうところ好きだよ」
「なんか馬鹿にしてねぇ?」
 ワタルが笑う。
 沼は底なしのようで、さっきから石を放り入れているが、底についた感覚はない。きっとここに死体を投げ入れれば、二度と浮かび上がることはないだろう。
 実際はそうでもないのだろうが、そう信じたかった。
「理由は二つ。一つは、両親が保険金を手に入れるのが気に入らないから」
「でも、7年たてば失踪宣告? がされて結局両親に金が入るじゃねぇか」
 俺は前にみた刑事ドラマを思い出して言った。
「うん。それはもう一つの理由と関係ある。僕はね、どうにかして7年以内に両親と祖父母を殺すよ」
 俺は正直その言葉に面食らった。いくら殺されたからとはいえ、ワタルに人殺しができるとは思えなかった。
「がんばれ」
 でも、あまりにワタルが強い目をしているから、俺は応援だけすることに決めた。
「うん。頑張るよ。学校では人の呪い方なんて習ったことないけれど。
 ……ほら、もう暗くなる。早く帰りなよ」
「おう。……でも、死体どうする? 深くまで持ってくと俺まで死ぬぞ」
「そこは、僕が恨みパワーでどうにかするよ。そこに置いといて」
「恨みパワーってなんだよ」
 だが、信じるしかない。俺は言われた通りの場所に死体を置き、沼とワタルに背を向けた。
 何故か分からないけれど、俺はここでワタルとはお別れだということを理解していたし、もう二度と会うこともないのだろうなと分かっていた。
「あ、そうだ。最後に」
「なんだよ」
「タケル君、お誕生日おめでとう」
 夕焼けが森を赤く染める中、沼とワタルだけがその影響を受けず、世界から沈んでいる。
「ありがと」
 俺もきっと赤く染まっていたのだろう。

 


 以上が、俺と幽霊の心温まる感動ストーリー。そして今日が門脇ワタル、享年13歳が死んで7年目。俺の20歳の誕生日、というわけ。
 ワタルが行方不明になったことはその日のうちに村中に広まってたけど、死体は見つからなかった。間違いなく沼も捜索されただろうに、不思議だな。俺はそのときもう町のほうに戻ってたから詳しくは知らねぇけど。

 ビールもどうにか飲み終わったし、怖い話もこれで終わり。俺はそろそろ行かせてもらうよ。急いでるんだ。
 うん。そう。この後用事があって。自首しに行くんだ。
 結局、気の弱くて優しいワタルは誰も殺すことができなかった。だから俺がやった。適材適所ってやつ。別にゆっくりしてもいいんだけどさ、この後用事があるって思うとソワソワするだろ?
 この怖い話のオチは“一番怖いのは人間”ってありがちなヤツってわけ。つまんない? 卑怯? なんとでも言え。
 俺は成し遂げた。お前も、頑張れよ。

 

 速水