菊花夜話

兄を探しています。

十六夜目 無題

※軽度のグロテスクな描写があります。

 

突然だけど、記憶喪失になったとき、あなたならどうしますか?
周りの人の言うこと、過去の自分が獲得したという物的証拠以外に、自分の存在を証明するも
のがほしかったら。──私は、インターネットを選びました。過去の自分が、本名をさらしてイ
ンターネットをする人間ではなかったという確認がしたかったのです。個人特定できるような
ことが書かれたブログやSNSが見つからなかったらいいな。いえ、見つかってもいいのです
が。それはそれで、過去の自分が垣間見えるわけですから。
赤瀬川久史、を検索欄に入れて、候補に「赤瀬川久史 事件」「赤瀬川久史 遺書」「赤瀬川久史
考察」が挙がったときの恐怖がわかるでしょうか。なぜ自分の名前が、さも当然のように検索
候補に挙がってくるのか。しかも連想検索の候補はことごとく不穏な単語ばかり。私はひどく
困惑して、まずは自分の名前だけで検索をしました。
信頼の置けそうな新聞社系のニュースサイトや警察のサイトを見てみて、どうやら『赤瀬川久
史』は、10年前の某日に起きたS県男子高校生失踪事件の当事者であるらしい、ということが
わかりました。10年前の某日、『赤瀬川久史』は同級生と別れたあと、そのまま帰ってこな
かった。それがわかったところでどうしたらいいんでしょうか。私は赤瀬川久史ではないんで
しょうか。私は痛む頭を抑えて、しばらく記憶をたどりました。目を覚まして、「赤瀬川、起
きたのか」と言われた、そのずっと前、靄のかかったその先をたどろうとして。私は恐ろしい
ことを、思い出しました。──私は、親友に殺されていました。
私の親友の名前は、禅野行孝、といいます。私と禅野は10年前、同級生で、禅野の家と私の
通っていた塾が近かったものですから、私たちはよく一緒に帰っていました。
私の母はいわゆる教育ママというか、学歴至上主義とでも言いますか、とにかくそういったひ
とで、私は幼少期からT大に進学しなさい、といわれて育てられ、小学生のころから塾に通わ
されていました。そういう人間にはありがちな話ですが私には友達が少なく、禅野は高校で、
いえ、たぶん人生で一番親しい人間であったでしょう。私と禅野は塾が始まるまでのわずかな
時間を見つけてはアイスやたい焼きを買い食いしました。母に知られていない楽しい時間があ
るという事実は、私の中のささやかな復讐心を満たすのには十分でした。
ある日の朝、私は模試の判定結果について母に長々と文句を言われ、だいぶ頭に来ている状態
で登校しました。一日中そのことを考えていて、ふ、と、「家出してみようか」と思ったので
す。その日は木曜日で、塾がありましたから塾をサボタージュして、一日くらい家を離れてみ
ても罰は当たらないんじゃないか、と。東京のほうに出てみて、少し遊んで、適当なところで
帰ろう。──私はまだ若く、無鉄砲でした。その話は、すぐに禅野にしました。「お土産、なに
がいい?」「銀座のケーキ」「まかせろ」「なあ、協力させてくれよ。お前と塾の前で別れ
た、って証言するから」私は快諾しました。親友は優しく、頼りになる人間でした。
私たちは放課後、普段通りに学校を出て、いきつけのたい焼き屋寄り道をしてから駅に向かい
ましたが、寄り道をしたことをあれほど後悔したことはなかったでしょう。架線火災により、
東京方面に出られる電車が終日運休になっていたのです。私たちは顔を見合わせた後、駅前の
茶店に入り、この後どうするかを相談しました。禅野は取りやめにしたら、といいました
が、私は絶対に今日家出しなくては気が済まない、と主張しました。禅野はため息を一つつく
と、「じゃあ、今夜はうちに来て、明日の始発でいきなよ」と言ってくれました。

禅野の家に上がるのは初めてでした。私ははしゃぎ、お菓子を食べたり、禅野の部屋を覗いた
りしました。──その晩、私は禅野に殺されました。夜中、息苦しくなって目が覚めると、禅野
が私に乗り上げて、首に手をかけているところでした。私はなぜか、そうなることを知ってい
たような気がして、暴れもせずに禅野を見上げていました。禅野はうすくらい、泣きそうな目
つきで、しきりに「赤瀬川がいけない、赤瀬川がいけない」と繰り返していました。呼吸はど
んどん苦しくなり、血管が頭の中で膨らむようでした。──そうして、私は死にました。
それを思い出した私の困惑を想像してみてください。それは絶対に事実で、禅野は私を殺した
はずですが、私はこうして生きていますし、私が会った禅野も殺人に問われているようではあ
りませんでした。私は変に思いながらS県男子高校生失踪事件について言及のある未解決事件
のサイトを開きました。事件後に被害者家族に複数回怪文書が届いたこと、被害者についてイ
ンターネットで定期的に情報提供を求める書き込みがあること、などの実感のわかない項目の
最後に、「投稿された赤瀬川久史の遺書とされるもの」というリンクがありました。更新日付
は、昨日です。私は思わずあたりに人がいないことを確認してから、それを開きました。
──私は、すべてを思い出しました。私はあの時殺されたのではなくて、気絶しただけでした。
私が気づくと禅野は普通に戻っていて、私たちは始発のために禅野の家の前で別れました。私
は東京に出て、──家に帰りませんでした。成り行きで風俗店のボーイとして住み込みのバイト
をはじめ、そのまま赤瀬川久史であることを隠して、10年、東京で暮らしていました。禅野は
私を殺していません。禅野が殺したのはあるいは、私ではなかったのでしょう。──禅野に殺さ
れた時の記憶はどんどん薄くなり、すぐにわからなくなりました。
「赤瀬川?」と私を呼ぶ禅野の声がしました。私は軽く返事をして、パソコンを閉じました。
私は生きていて、禅野は親友。それですべて丸く収まる話なのでした。