菊花夜話

兄を探しています。

十一夜目 黄泉から還る

ヘテロラブの描写があります。

 

(メモ:某私立大学のオカルト研究会の合宿で百物語が行われた際に録音されたもの。語り手は三回生の男子学生)

 あ、僕の番か。ええと……これは、四年前に亡くなったうちの父にまつわる話です。そんなに怖くはないかもしれませんが、不思議な話ということで。
 父の趣味は山登りでした。と言っても、そんなに本格的な登山じゃありません。標高の低い山に時たまふらっと登りに行くくらいのものでしたから。そういうところだと家族で登りに来ている人も多いと思うんですが、父は一人で登りに行くことばかりでした。遊びに連れて行ってもらったことはちゃんとありますし家族を蔑ろにするようなタイプの父ではなかったんですが、僕が頼んでも母から言われても山には連れて行ってくれなかったんです。でも、昔一度だけ山登りに連れ出されたことがあって。確か小学校の二年か三年か、そのくらいのとき。朝早くに起こされて車に乗せられて、うとうとしてるうちに「着いたぞ」って言われて、もう訳がわかりませんでした。頼んでも全然連れてきてくれなかったくせにとも思いましたよ。流されるままに一緒に登りましたけど。
 不気味な雰囲気の山でした。生き物の気配が全然しなかったんですよ。普通は鳥の声とかするじゃないですか。でもそういうのがまったくなくて。登ってるうちに霧も出てくるし、歩き通しで足も疲れてくるし。嫌になってきて、父に「どこまで行くの」って聞いてみたんです。そしたら、「どこまで行きたい?」って逆に聞き返されたんです。そんなこと言われても困ると思って。だから正直に「もう帰りたい」って答えたんですよ。振り返った父は何か言いたそうな顔をしていたんですが、「じゃあ、帰ろうか」ってすぐに車に戻り始めて。結局なんだかよくわからなくて、僕の中でなんとなくしこりのように残る経験になりました。まあ、それでもそんなことはすっかり忘れてたんですよ。父が亡くなるまでは。
 父が不慮の事故で亡くなったあと、葬儀で父の友人の方に何人かお会いしたんです。そのうちの何人かの方が、僕の顔を見た瞬間まず怪訝な顔をしたりぎょっとしたような顔をしたりで。すぐに普通に挨拶してくださったんですが、内心なんなんだと思っていたんですよ。でも、数日後に遺品の整理をしていたときに理由がわかりました。古い写真が一枚、出てきたんです。アルバムにも貼らず、隠すように書斎の机の引き出しの奥にしまってありました。そこに写っていたのは、まだ学生らしい父でした。そして、楽しげに笑っている父の隣にはもうひとり同じ年頃の男が笑顔で写っていて。その男、どう見ても僕だったんです。
 ありえませんよね。目を疑いました。どう考えたってありえない。でも、他人の空似なんてもんじゃないくらいにそっくりなんです。僕自身としか思えないくらいに。気持ち悪くてしばらくの間その写真のことが頭から離れなかったんですが、父の友人の方で「何か手伝えることがあれば」と連絡先を教えてくださった方がいたのを思い出して。その方も僕の顔を見て驚いていたうちのひとりだったんです。この人に聞いてみたら何かわかるんじゃないかと思って、連絡を取ってみたんですよ。それで、お会いして写真を見せて、話を聞かせてもらったんです。少し悩んでいる様子でしたが、教えてもらえました。
 写真に写っている僕そっくりの男は、父の学生時代の友人だったそうです。二人はとりわけ仲が良かったらしく、一緒に遊びに出かけることもしょっちゅうだったとか。父が「よくちょっとした山登りに連れて行かれる」と笑いながらこぼしていたこともあったそうです。そもそも山登りはその友人の趣味だったんですね。で、それらしい人を葬儀で見かけた記憶がなかったので、その人が今どうしているのかを聞いてみたんです。そしたら、学生時代に亡くなったって。
 正確には、行方不明だそうです。一人で山に登りに行って、そのまま。遺体も見つかっていないそうです。そんなに険しい山じゃなかったそうですが、どこをどう彷徨ったのか、まるで消えたみたいに行方をくらましたそうで。結局、何か事故にでもあったんだろうということになったそうです。それ以降だそうですよ、父がときどきふらりと一人で山に上るようになったのは。友人がいなくなった直後の父は憔悴しきっていて、とても見ていられなかったそうです。その後、僕の母と出会ったことで心の傷も徐々に癒えていったんだろうと。「あんまりあいつに似ているから生まれ変わりかと思った」と冗談のように付け加えられて、話は終わりました。
 不思議なことは、これだけです。不思議なのかどうなのかもわかりませんね。その写真の男と僕が異常に似ているだけという解釈も一応はできますから。でも「山中異界」って言うじゃないですか。山の中は人の世じゃない。異界、つまり僕らがいる此岸と地続きの彼岸です。そう思うと、ね。……父は、時折僕を見て何か言いたそうな顔をすることがあったんですよ。山に一緒に登って、振り返ったあの時みたいに。きっとあの山は、その友人がいなくなったという山だったんじゃないかと思います。そして父は、こう言いたかったんじゃないでしょうか。「お前は、本当に俺の子供か?」「山から帰ってきた、あいつなんじゃないのか?」って。もう確かめようもありませんが。でも、あれ以来ときどき鏡を見ると怖くなりますね。父にも母にも似ていない、縁もゆかりもないはずのあの男そっくりの顔が映ってるんですから。僕は本当に、僕なのかって。

 

 匿名希望