菊花夜話

兄を探しています。

五夜目 或る男の訃報

※グロテスクな描写があります。

 

祖父の引越しを手伝っている時のことだ。ダンボール箱に詰められた大量の週刊誌を見つけて僕はびっくりしていた。
「もう、三十五年前のことだ。私は記者をしていたんだよ」
彼が今年の3月まで出版社に務めていたのは知っていたが、まさか週刊誌の記者だったなんて。目を丸くしている僕に気付いたのか、彼は面白がるように笑って「入社してすぐの数年間だけだったがね」と付け加えた。
「これも新居に持っていくの」
「いいや、嵩張るし読み返すこともないから処分してしまおうかと思っている」
「じゃあ縛っておくね」
すぐそばに放ってあったビニールテープを掴もうとすると、彼はああ、そうだ、と言って僕を止めた。
「お前、推理小説が好きだとか言ってなかったか」
「うん、そうだけど」
「未解決事件があるんだ」
三十五年前。殺人だったとしてもとっくに時効は切れているのではないだろうか。右手をビニールテープに伸ばした姿勢のまま固まっていると、そんな僕にお構い無しに彼は事件の概要を話し始めた。
「1983年のことだ。当時人気急上昇中だった俳優、Sが自殺した。首吊りで、だ」
箱に収まっていた週刊誌たちはいくつか散乱していて祖父は第二十号の中程にある記事にじっと目を落としていた。
「死体が発見されたのは早朝、海水浴場でもある浜辺だ。そこには紐も踏み台も吊るす場所も何一つなかった。首に縄の跡だけを残して浜辺に転がっていたのを出勤してきた海の家のスタッフが見つけたらしい」
「じゃあ、どうして自殺だってわかったの」
「通報が入った時は警察も殺人事件だと思っていた。しかし死体を検分し、解剖をして鬱血の具合も、首に残った紐の跡も、裸足に残る擦過傷も、それら全ては彼の死が自殺であることを裏付けていた」
確かに、奇妙な事件である。
「Sの死体が浜辺で検分されている頃、警察の別の部隊では彼の家を家宅捜索してた。そして、そこには自殺に使われた踏み台も、ロープも見つかった。その上、遺書まで」
彼はページを捲り拡大印刷されていた画像を僕に見せた。それは妙に詩じみていたが確かに自殺の示唆とも読める文章をしていた。
「その日の昼には火のついたような報道合戦が始まっていたよ。彼は関西から上京してきたばかりで芸歴もたった一年だった」
ページを捲っていくと彼の顔写真が現れた。精悍な顔つきの美少年である。
「この人、僕と同い歳なんだね」
写真の下には名前があって、その横には年齢が書いてあった。17歳。彼はどんな気持ちで死を選んだのだろうか。
「ああ、早すぎる死を皆が悼み、食い物にした」
なんだかやりきれない気持ちになった。僕は、時々ニュースで目にする同年代の誰かの死にも同じ気持ちを抱いていただろうか。
「やがて、想像の域を出ないような噂も次々飛び交った。本当は心中で片方だけが死んでしまった、とか完璧なトリックで他殺されたとか」
不可解な死、悩む僕に祖父は優しく笑いかけた。しかし、この笑みは彼とボードゲームをやる時によく見るようなものだ。
「さて、情報は揃ったね。何故Sの死体は浜辺にあったのか。面白い話を聞かせてくれよ。この老人に」
そう言い残すと、彼はお菓子をとってくると言って台所の方へ消えた。羊羹とうぐいすもちだったらどっちがいい、と聞かれたので羊羹、と答える。引越しはもう明後日に迫っているのに何故生菓子があるのかは問わないことにした。
改めて雑誌の記事やインタビューの書き起こしを見つめる。
死体があるはずのないところに現れる、というのは小説ならば良くあることが現実にはそうそうない。
逆もまた然りだ。死体が消える。多くの遺留品が見つかった彼の自宅に、鍵はかかっていたのだろうか。そうならば、それは密室だ。浜辺に足跡がなければそれも密室だろう。
密室からの死体移動、死体の消失、死体の出現。どれかなのか絞りきれない以上すべての可能性を考慮しなければいけない。
ぱらぱら資料を捲っていくうち、1人だけしった名前が現れた。Kという、大御所と言って差し支えないくらい有名な俳優だ。この前も僕が好きな作家の実写作品で探偵役をやっていた。彼はSの事件についてインタビューを受けていたらしい。ぎりぎり読める程度の繋がった文字を解くように読む。
三十五年前、Sのデビュー作で共に主演を務めたのはKだった。当時Sより八つ年上だった彼はSのことを随分かわいがっていたらしい。
KはSの死について「彼は自殺するようには見えなかった」や「誰かが殺したんだとしたら許せない」と語っていた。
美貌もそれに見合う人気もSは持っていた。自殺だとして彼は何に苦しんでいたのだろう。他殺だとして彼は誰に恨まれたのだろうか。
「どうかな、いい思いつきはあったかい」
「うわあ」
がらんと開いたのは背後の襖。さっきは向こうの襖から出ていったのに。
「Kは当時、Sと道路を挟んで向かいのマンションに住んでいたんだよ。そのせいか彼が犯人じゃないか、と疑う人もいた」
祖父は羊羹と緑茶の乗った盆を傍らに置き僕の見ていた資料を覗き込んだ。
「度々出てくる、二人が共演したドラマ。これもね、推理ものだったんだ」
老眼鏡の向こうの瞳には郷愁の色が見える。
「物語の最後でSが演じていた役は死んでしまう。撮影した時に現場にいた人達はみんなボロボロ泣いていた、って話がただの感動的で素敵な話だったのは放送されてからたった2週間だけだった。Sはまるでその役を演じるために生まれてきたんじゃないかって、くだらない言葉も最もらしく見えた」
「もしかするとそれが動機だったりして」
羊羹を一欠片口に入れる。上品な甘さ。緑茶にここまで合う食べ物なんてなかなかない。
「ほう、どういうことかな」
「想像というよりは妄想に近いけど、Sが自殺をする。遺書を用意してその様子が極めて自然になるように」
なんだか物語を作っている気分だった。
「それでその日、二人は会う約束をしていたとする。いつまでたってもSは現れず、Kは彼の自宅を尋ねることにした。その方が近いから」
少なからずおざなりなところもあるが気にしないで話を進める。祖父も僕を止めない。
「チャイムを押しても反応はなくてKは首を傾けながら扉のノブを捻ってみる。するとそこにはSの死体があった。原因は明らか
首吊り、自殺だと一目でわかった」
そうして傍らの手紙を読む。
「彼はSの遺書を読んだ。そして、強い憤りを感じたんだ。演技をするSのそばにずっといたKは役とSを同一視していたとしてもおかしくない。Sは将来のことの不安など将来の不安を書き綴って死んだ。まるで神が地に落ちたように感じたのかもしれない。それでKはSの死に神聖さを持たせようとした。一番簡単な方法は解決させないことだ」
証拠も何も無いけれど堂々と語る。それが僕なのかSなのか、少し曖昧だ。
「Kは海岸に死体を運び、遺留品はそのまま部屋に残して解決できない状況を作り上げた。これでSは世間から忘れ去られることは無い。未解決事件として名を残す」
途中から気恥しくなって向けなかった祖父の方を見ると絶句、とかそういう言葉が似合うような表所を浮かべていた。てっきり笑っていると思っていた僕もあっけに取られる。
「全部、冗談だよ……」
「ああ、そうだろうな」
奇妙な沈黙が残る。それを破ったのは三人目の声だ。
「あら、」
祖母が悲愴を滲ませた声でそういった。心配になって祖父と居間へ向かう。
なんのことないドラマの再放送が流れている。しかし画面の上にはテロップが。
俳優のKが死去。死因は……
最後まで読み切る前にドラマの台詞がいやに鮮明に飛び込んできた。
「罪を背負い続けよう、残された命がある限り」
映像の中のKは、確かにそう呟いた。

 

 夢井るか